どうも、とおちゃんです。
前回の記事で少し竹内結子さんについて触れて書いたら、色々考えてしまいまして、人が自ら死を選ぶってどうしてなんだろうかと。
特に竹内さんや三浦春馬さんみたいに、端から見たら誰もが羨むような華々しい活躍をされているのに、突然亡くなってしまうのはなぜなんだろう?
竹内さんなんて再婚して子供も生まれたばかりで、幸せいっぱいに見えたのにどうして自ら命を絶ってしまったのか。
考えれば考えるほど不思議で理解できないですよね。
だから様々な憶測が飛び交っているわけですが、色々考えていると、なんとなく漠然とですがとおちゃんにも思い当たる節があるんです。
ウツになった時も死にたいとは思わなくて、辛いとは思うけど死ぬのは嫌だって思ったんですよね。
だからウツが原因って簡単に片付けられない気がしています。
とおちゃんが思うに、人が死にたいって思う時には2種類あって、一つ目が辛い目に遇っている時。
例えばいじめや虐待を受けていて、その苦しみから逃れるために死を選ぶケース。
病気で余命少ないとか、お金も家族も全てを失って自暴自棄に走るケースなど、今の現状が辛くて現実から逃れるために死を選ぶというのはありますよね。
確かに辛いし、もう死ぬしかないと考えるのもわかります。
でも多くの人はそれでも死ねないんじゃないかと思うんです。
痛みから逃れるために、さらに痛みを伴う死を選ぶのって怖くないですかね。
痛くない死に方があるならそれを選ぶかもしれませんが、やっぱり死ぬのって怖いわけですよ。
だからたいていの人はそれを選ばず、現状に耐えるわけです。
でももう一つ死を考える理由として、特に現状辛い目に遇っているわけではないけど、もういいやって思うケースがあると思います。
特に現状に不満もないし、仕事もあって家族もいて順風満帆。
幸せなんだけどなんかもう疲れたな。
もう人生十分満足だ。
これ以上生きても老いていくだけだし、先も見えていて何の楽しみもない。
これまで十分生きてきたし、これ以上生きる必要もないのかな。
毎日変わり映えのない日常を過ごして、毎日仕事や家事育児に追われ、心身ともに疲れているのに休めないし、最近は夜寝ても回復しないし、この先どんどん体力も衰えていってさらに疲れがとれないんだろうな。
やりたいこともやりつくした感があるし、若い頃ならあれもやってみようとか、色んなことをしてみる体力も気力もあったけど、40過ぎると何しても疲れるだけだし、心の底から楽しめることなんてないんだよなあ。
いつも周りに合わせて顔は笑っているけど、心の底から楽しいと思って笑ったのっていつが最後だろう。
この先もきっと心の底から楽しめることなんてないんだろうな。
人生の先が見えてしまった。
この先、生きていても今以上に良いことなんてないだろう。
だったらここで終わらせたほうがいいんじゃないか。
もう十分生きた。
もう満足だ。
そう、人生に満足して死を選ぶっていうこともあるんじゃないだろうか。
毎日必死に生きていると、本当に疲れるし、この先も何十年とこの生活が続くと思うとゲンナリして、もうここでいいかって思っちゃうこともあります。
とおちゃんは若い頃は自殺する人の気持ちはわからなかったし、どんな理由があったとしても自殺なんかしない、悲しむ人がいる限りは自殺なんかしちゃだめだって思っていました。
でも歳をとるにつれて、この人生に満足したっていう理由で自殺するならわかる気がしてきました。
現状が辛くて逃げ出したいっていうのなら、死ではなく別な逃げ道をって思いますが、人生に満足してもういいやっていう人に対してどうしたらいいかって正直わかりません。
とおちゃんは子供がいるからまだ死ねないって思っていますが、子供がいなかったら、子供が自立して出ていったら、もう満足してしまうような気がしてしまいます。
これ以上生きていてもしかたないのかなって思ってしまうかもしれません。
実際今ですら、もう疲れた、もう十分生きたって思いますもん。
この先も生きていれば楽しいことだってあるし、新しい発見や刺激もあるんだと思います。
でも人生の半ばを過ぎて、後半に入ってしまうと、もう取り返しがつかないというか、もう人生が決まってしまって変更がきかないような感覚になってしまい、惰性で生きているような感じがしてしまうんですよね。
将来の夢は、子供が自分のやりたいことをやって、自立して生きるようになることであり、自分の夢ではないんですよね。
このままでは子供が自立したらヤバいですよね。
竹内結子さんがどういう理由で自ら命を絶ったのかわかりませんが、子供を置いて先立つという選択をするのには、やはりそれだけの理由があったのかもしれません。
死ぬこともそうですが、生きることにもやはり理由が必要で、生きる理由がないと生きていてもしかたないと思って死を選ぶこともあると思います。
しかし、人生において生きる理由を探すことは、死ぬ理由を探すよりも難しいのかもしれません。
とおちゃんねるでした。