【父子家庭ブログ】とおちゃんねる!

娘2人の父子家庭の日記です。父子家庭ならではの悩みや日常を発信していきます。

MENU

【うつ病】この1年を振り返る

どうも、とおちゃんです。

去年上の子が不登校になって、とおちゃんのウツが悪化し、仕事を休職することになりました。

それから1年が経ち、この度仕事復帰することになりました。

当初そんなに長く休むつもりもなく、状況が落ち着いたらすぐに復帰しようと思っていましたが、元妻の浮気発覚から受けつづけたダメージがそんなに早く回復するわけでもなく、療養に長い時間がかかってしまいました。

上の子の不登校はきっかけに過ぎず、それがあったからウツが悪化したわけではなく、もともとダメージが蓄積されていたところに駄目押しをされたわけです。

それだけ離婚のダメージは大きく、自分でも気付かないうちに精神をやられていたんですね。

今ようやくウツが回復し、通常の生活ができるようになり、仕事復帰できるまでになりました。

この1年は上の子の不登校の対応も去ることながら、自分との戦いの日々でもありました。

どうしてこうなったんだろうという自責の念が絶えずあり、自分がしっかりしなければと鼓舞してもどうにもならない辛さがありました。

そうやって自分を追い詰めて追い詰めてしまったために、ウツになってしまいました。

仕事を休んで、上の子の不登校のことも忘れて、とにかく休養していた時期がありました。

そんなときに叔母から「もっとしっかりしろ」と言われて絶望した時もありました。

あの頃を思い出すと、この世からいなくなりたいと本気で思っていたかもしれません。

自分がうつ病になってみてあらためて、この病気は悪化すると死ぬかもしれない危険性があるんだなと実感します。

死を意識するその瞬間、自分のことも周りのこともどうでもよくって、とにかくここからいなくなりたい、死ねば全て終わるし、解放されるって思うんですよね。

よく死ぬくらいなら逃げればいいとか、生きていればいいことあるさとか言われるけど、逃げ場も見つからなくって、未来に希望を見いだせないから死を選んでしまうんですよね。

誰も理解してくれなければ、とおちゃんは今この世にいないかもしれません。

周りの人はみんな優しく声をかけてくれますが、誰も身代わりになってはくれません。

上の子の不登校のことも色んなところに相談しましたが、具体的に解決してはくれませんでした。

結局は自分でどうにかするしかないんです。

でもその時は本当にもう限界で、自分のことすらままならない状態でした。

そんな時唯一救ってくれたのが親でした。

実家に1ヶ月間お世話になり、子供のことからも解放されゆっくり静養できたことで、気力が少し回復しました。

上の子も同じように回復して、それから徐々に学校に行けるようになりました。

あの1ヶ月がなかったら上の子はまだ不登校だったかもしれないし、とおちゃんも復帰できていなかったかもしれません。

f:id:gottuan120:20190306124819p:plain

この1年で色んな事があり、生活も大きく変化しました。

それはとても大きな変化で、離婚してから今まで止まっていた何かが動き出したような気がします。

これからも波瀾万丈あると思いますが、この1年で乗り越えられる力を得たような気がします。

            

とおちゃんねるでした。