どうも、とおちゃんです。
妻との話し合いの末、親権はとおちゃんに、1年後の離婚が決まりました。
子供たちは全く置き去りで、親って勝手なもんですね。
しかし子供の手前当面は今まで通り平静を装って生活しなければいけません。
あからさまに不仲だったり不穏な空気にさらられたら子供の精神衛生上よくありません。
なのでとおちゃんも1年我慢しようよ思っていました。
今まで通り普通に生活すればいい。
そもそも妻とはそんなに会話があったわけではないし、必要最低限の会話をしていれば子供たちにバレることはない。
子供の前では笑顔でいつも通り過ごしてればいい。
簡単なことだと思いました。
しかしとおちゃんの受けたダメージは相当のものでした。
浮気調査の段階で受けたダメージがここへきてジワジワと浸出してきました。
加えて話し合いを進める中で、妻への不信感が増大し、一緒に住むことが苦痛でしかたなくなってきました。
再構築の可能性もない中、仮面夫婦でいることに意義を見いだせませんでした。
早く出て行って欲しい。
でも子供のためと自分に言い聞かせて、日々堪えていました。
一方妻はというと、全く変化を見せず、今まで通りに生活していました。
病んでしまったとおちゃんとは対照的に、やる気に満ちているように見えます。
驚いたのは、妻は離婚が決まるとすぐに、就職活動を始めました。
今は非常勤なので正社員になるべく面接を受けていました。
さらには資格の勉強も始めました。
一人で生きていくために必要だからというのはわかるのですが、過去は一切引きずらず、前だけを見ている姿を見ると、この人にとって結婚生活ってなんだったんだろうなって思います。
嬉々とした様子で独立準備をしているようで腹が立ちます。
その後も何度か話し合いはしたのですが、そういう妻の姿を見て余計に落ち込んでしまい、話し合いを避けるようになってしまいました。
そんな中でもお金の話はしておかなきゃいけないと思い、今まで家計を一緒にしていましたが、お互いの給料を分けて自己管理にしました。
今までとおちゃんの給料は全部妻に渡して管理してもらい、おこづかいをもらっていたのですが、結婚以来始めて自己管理することになりました。
実際貯金がいくらあるってこともあまり知らなかったのですが、思いのほか少ないなあと感じました。
妻に「貯金ってこれだけ?」って聞いたら、
「他に定期預金があるけど、それは私の給料を貯めたものだから私のものね」
と言いました。
ちょっとまて、それはおかしい。
今まで二人の給料を分けずにやりくりしてきたのに、どうして自分の給料分だと証明ができるのか?二人の共有財産だったんだから分けるべきだと言いました。
すると、「じゃああなたの通帳に入ってる分も半分わけて」と言ってきました。
この言い分にカチンときました。
「俺はこれから二人の子供を育てていかないといけない。当然お金がいる。あなたは子供の養育費を奪うつもりか?それならこっちも慰謝料を請求するから覚悟しておけ」と言い放ちました。
妻はしばらく考えていましたが、好きにすればと言いました。
でも定期預金は引っ越し費用とか今後の生活費で必要だから渡せないと言い、どうしてもよこせと言うなら慰謝料と相殺だと言いました。
結局妻は自分で定期を解約。
そのお金を頭金にして車を購入しました。
これもちょっと理解しがたい行動なのですが、一人になったら車が必要なので買ったとのこと。
今ある車の権利はいらないから定期は自分の車の頭金に使うと言って勝手に買いました。
こういう一連の妻の行動がとおちゃんの精神を蝕んでいきました。
着々と離婚準備を進める妻。
それを見ているととても悲しくなりました。
この人は子供たちと暮らしたいとは思わないんだろうか。
自分の非を認めて反省して死ぬほど謝れば、まだやりなおせる可能性があるにもかかわらず、その道には目もくれないで、嬉々として己の道を進もうとしている。
俺が好きだった人はこんな人だったのか。
子供達の母親はこんな奴だったのか。
そう思うととにかく悲しくてしかたありませんでした。
離婚の話し合いから1ヶ月が経ち、妻のそんな様子を見ることに堪えられなくなっていたとおちゃんは、妻にもう限界だから出て行ってほしいと伝えました。
しかし妻は首を縦には振りませんでした。
約束が違うと。
1年後という約束だったではないか、今すぐ出ていけと言われても困る。
妻の言い分はわかりますが、とおちゃんの心はもうズタボロで限界を迎えそうでした。
不眠と目眩で仕事にならず、しばしば会社を休むようになりました。
家にいても心が休まることはなく、妻の存在が気になってイライラしてしまいます。
そして子供の前でも平静を装うのが難しくなってきました。
子供達も、なんだか不穏な空気であることは気づきはじめています。
家族4人で一緒に出かけることはなくなり、家に居てもお互い別々の部屋で過ごし、顔を合わせないようになっていました。
そんな状態に子供が気付かないわけがりません。
子供たちは直接聞いてきたりはしませんでしたが、お父さんとお母さんが話もしない状況を理解していたと思います。
それだけにもう限界だと感じていました。
子供にこれ以上辛い思いはさせたくない。
全部カミングアウトしたいと思うようになりました。
それまでとおちゃんは誰にも相談できず、一人で抱え込んでいました。
精神的な限界が近づくにつれ、誰かに話したい、この状況を伝えて理解してもらいたいと思うようになりました。
子供たちには酷なので言えませんが、親には伝えておかなければと思いました。
父子家庭になったら親の協力がないとやっていけないと考えたからです。
実家に帰るにせよこのままここで暮らすにせよ、生活が落ち着くまでは親の協力が必要です。
なので離婚前に相談しようと決めていました。
しかしまだ迷いがありました。
この期に及んでまだ離婚を回避できないか迷っていたんです。
それはやはり子供のため。
どう考えても子供たちが1番辛い思いをするわけで、とおちゃんが我慢すれば離婚しないで子供たちは幸せに暮らせるんじゃないか。
この時はまだ子供にとっては両親が揃っている方がいいに決まっていると思っていました。
だからギリギリまで迷いました。
うちの親に伝えればきっと激怒して妻のところに乗り込んでくるでしょう。
そしたら離婚は完全に避けられなくなります。
でも今はまだとおちゃんは誰にも相談しておらず、留めている状態です。
それはまだ離婚を回避する余地を残したい、数パーセントの妻の良心を信じたい、反省や後悔するかもしれない。そんな期待があったからです。
なんかこう書くと未練タラタラに思われるかもしれませんが、妻にではなく家族に対しては未練がありました。
できれば壊したくないと思っていました。
そこで最後の賭けに出ることにしました。
妻にはもう限界であることを伝えたうえで、5月のゴールデンウィークに実家に帰省するのでその時に離婚のことを親に伝えるつもりだと話しました。
5月まであと2ヶ月くらいあるので、猶予を与えたつもりでした。
妻は「そう、わかった」ってだけで止めようともしませんでした。
なので「本当にいいの?」って聞きました。
今ならまだやり直せる可能性があると思うけど本当にいいのかと。
妻は「もう、無理だよ、今さらやり直せない。もう疲れた」と前と同じ回答でした。
それでもとおちゃんはまだ未練があったんでしょうね、
「まだその男と続いてるの?」と聞きました。
「もう会ってない」
「その男から謝罪がないんだけど、うちらが離婚することはその人知ってんの?」
「いちおうそうなることは伝えてある」
「それで何か言ってないの?」
「申し訳ないとは言ってた」
「直接謝罪がないんだけど、こっちから行った方がいいかな?」
「お願いだから止めて」
「やっぱり続いてんじゃねえのか?」
「もう関係ないでしょ」
「関係あるだろ!うちは離婚することになったんだ!お前とそいつのせいだろ!子供達を傷つけておいて何の謝罪もないなんて許せるわけねえ!!」
「わかった、私から彼に伝えておくから、お願いだから直接行かないで」
「、、、、、。」
わかっていても傷つくもんです。
もう修復不可能でも、少しでも気遣かってほしかったんです。
13年間夫婦としてやってきたんです。
とおちゃんにも情はあります。
でも妻にはそんなものないのかなあ。
やっぱり悲しくなりました。
その後妻の両親に伝えないとという話もしましたが、妻が直接伝えるから今はまだ言わないでほしいと言われました。
本当は妻の両親に先に相談することで、妻を説得してもらい再構築できないものかと考えていたのですが、それも無理なようでした。
そんな感じであっという間に2ヶ月が経ちました。
妻からは謝罪も再構築の要求もないまま戻れないところまできてしまいました。
つづく。