【父子家庭ブログ】とおちゃんねる!

娘2人の父子家庭の日記です。父子家庭ならではの悩みや日常を発信していきます。

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東日本大震災から10年が経ちました。

どうも、とおちゃんです。

先日3月11日で東日本大震災から丸10年が経ちましたね。

当時とおちゃんは東京のアパートに住んでいて、下の子は生まれておらず、上の子はまだ3歳でした。

震災当日は上の子が熱を出したか何かで保育園を休むことになり、とおちゃんが仕事を休んで家で見ていました。

幸い上の子は大したことはなく、家で元気に過ごしていました。

そんな時にあの地震が起こりました。

東京の郊外だったので震度は4くらいだったと思うのですが、それでも今まで感じたことのないような揺れを感じました。

揺れの大きさもそうですが、地面が波打つような揺れを感じ、しかもそれが長く続きました。

今まで経験した地震は強くても割とすぐ収まっていたのに今回は揺れがなかなかおさまらない。

直感的にどこかで大地震が起こったのではないかと思いテレビをつけました。

すると速報で東北で震度7マグニチュードは最初7か8くらいってなってたような気がします。

いづれにせよ大きな地震が起きたことがわかりましたが、その後の津波の映像が流れるようになると、これは現実なのかと目を疑ってしまいました。

各地で津波が到達し、建物や車が一気に流されてしまい、中には取り残された人の映像も。

ショッキングな映像に言葉も出ず、ただただ唖然とし、とんでもないことが起こったと呆然としていました。

そこではっと我に返って、元妻や職場、実家に連絡をとり、皆の無事を確認しました。

上の子が保育園を休んでいたのは不幸中の幸いで、もし保育園に行っていて、自分も仕事に行っていたら、電車が止まってしまったため自分も元妻も上の子を迎えにいくことはできなかったと思います。

自分は職場が遠いので、電車や公共交通機関が止まってしまったら、歩いて帰るしかなく、歩いたら多分1泊2日くらいかかるんじゃないかな。

その日は元妻も帰れなくなっていたので、車で迎えに行きました。

帰りにどこかで夕飯を食べようと思ったのですが、その夜はどこのお店も店じまいをしていて、すでにコンビニの商品も品薄でした。

それから原発が爆発して、東京も計画停電するようになったりしましたが、被災地に比べればなんてことはありませんでした。

原発が爆発した時は、日本は終わったって本気で思いました。

それくらい衝撃的でした。

でも上の子は全く覚えていないそうです。

そりゃそうですよね、まだ3歳でしたから。

下の子はその年の7月に生まれました。

下の子には震災から復興して、未来に希望が持てるような明るい名前をつけました。

この子達がこれからの日本を明るく照らす存在になるんだ。

そう願いました。

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あれから10年経ち、上の子が13歳、下の子は今年10歳になります。

この10年で我が家にも色々ありました。

辛いこともたくさんありました。

でも子供達は明るく元気に育っています。

将来周りや皆んなを明るくできるような、そんな人間になったらいいなと願っています。

             

とおちゃんねるでした。