どうも、とおちゃんです。
今日は愛について語りたいと思います。
コイツどうしちゃったんだ?急に愛を語るとか気持ち悪い、とか思わずに聞いてください(^_^o)
最近よく人生についてとか、愛についてとか考えることが多いんですよね。
何か満たされないものがあるのか、離婚して失われたものがあるのか。
芸能人の自殺なんかも影響していて、生きるとはなんなのかなどといった哲学的なことを考えてしまいます。
愛についても一つのテーマとして、以前から考えてきたことではあるのですが、結婚した当初はもう愛は手に入れたと思っていたわけです。
それが離婚した今となると、結婚当初もそこに愛はあったのかと疑問に思えてきます。
そもそも愛とは何なのか?
別に男女の間だけでなく家族愛なんかも含めて、そんなものは存在するのかさえわからなくなってきます。
とおちゃんは今は独り身だし、寂しいと思うこともあるので、自分のことを理解してくれる人の愛を求めていると言えます。
しかし求めていても与えられるわけでもなく、日々過ごす中で愛を探す余裕もなく、なんかもう別に愛なんてなくていいやの境地に達してしまいそうです。
愛はきっと求めていても向こうからやってくる類のものではないのでしょうね。
よくね、「愛とは与えられるものではなく与えるものだ」っていう言葉を聞きます。
愛を誰かに与えることで初めて自分も与えられるようになるんだと。
多くの人は愛に見返りを期待してしまい、こんなに尽くしたのにどうして愛を与えてくれないのだろうと憤るかもしれません。
愛は与えたからといって必ず返ってくるものでもないし、目に見える形で与えられるものでもないんですよね。
とおちゃんも元妻に対しては心のどこかで見返りを期待していたし、いつか自分が与えた愛に気づいてくれると思っていたはずです。
でもね、お互いそう思っていたと思うし、自分に愛が与えられないことがお互い不満だったんですよね。
そもそも考え方が間違ってるんですよ。
愛とは与えるものであり与えられるものではない。
これは愛は誰かに与える時のみ存在するものであり、与えられる受け手にとっては愛ではなく単なる物や言葉であると考えるべきなのではないかと。
愛とは見返りを期待することなく無意識に与えるものであり、与えている人は愛を与えているとは思わないはずであり、なんとなくお互いにそれで成り立っている関係にこそ愛があると言えるのではないかと思うんです。
ちょっと何言ってるかわかりませんね(^_^o)
自分でもわかりません。
一番近い愛の形は家族愛かなと思います。
親から子への無償の愛というのが未来につながって、子供から孫へと連鎖していくのが理想の形かなと思っています。
自分が子供たちに愛を与えられてるかわかりませんが、子供たちが将来自分たちの子供に愛を与えられる存在になってくれればいいなと思っています。
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