どうも、とおちゃんです。
とおちゃんは離婚して子供はいますが、妻はいないので一応恋愛フリーな立場にいます。今はまだ子育てで精一杯でメンタル面でも不調なので、全く恋愛など考えていないのですが、先日知り合いが再々婚をするって聞いて驚きました。
正直とおちゃんは結婚はもういいかなって考えているので、今は再婚は頭にありません。なので再々婚って聞いても想像がつきません。子供がいると再婚して家族が複雑になることに対する不安や、面倒だという気持ちがあるので、もし再婚するにしても子供たちが巣立って、それぞれ自立して家庭を持ったりした後かなあと思っています。
まあその頃になると年老いていますから、恋愛だの結婚だのはもう諦めているかもしれませんね。
なので、再婚はともかく、恋愛をするなら今のうちっていう思いもあります。とおちゃんが恋愛するのは自由ではあるので、人を好きになったりすることは悪いことではないと思っています。
ただそれで子供を見なくなったり、子育てがおろそかになるようでは困るので、優先順位は間違えず、子供優先は絶対です。そこを理解してくれる人としか恋愛はできないと思います。
まあとおちゃんは女性不信というか女性恐怖症というか、苦手意識があるので、当面恋愛なんて無理だと思いますが、コミュ障なので恋愛以前の問題ですね。
ところで、世の中には「自由恋愛」という言葉があります。この「自由恋愛」とは「恋愛が自由」っていうこととは意味が違うようです。ちょっと気になったので、今回はこのテーマを考えてみようと思います。
自由恋愛とは
「自由恋愛」という言葉の元々の意味は、1830年代後半から1900年頃欧米を中心に起こった、結婚を社会的、経済的束縛とみなし、拒否する 社会運動だそうです。
Wikipediaによると
自由恋愛主義(じゆうれんあいしゅぎ)またはフリー・ラブ(英: free love)は、キリスト教的結婚観を背景に欧米で発生した、結婚を社会的・経済的束縛とみなし、拒否する社会運動である。自由恋愛運動の当初の目的は、結婚や避妊、姦通といった性に関する問題への国家の介入を排除することであった。自由恋愛主義者は、これらの問題は当事者の私的な問題であると主張した[1]。自由恋愛運動は主にアナキズムから派生したもので、恋愛に関する国家や教会からの自由を求めるリバタリアニズムを反映している。その主張によれば、成人のフリー・ユニオンは第三者から尊重されるべき正当な関係である。ヴィクトリア朝の自由恋愛運動では、当時としては過激な思想であったが、男女には性的快楽を得る権利が同等にあるという主張も見られた[2]。
つまり結婚によって束縛されることを嫌い、恋愛は自由であることを主張する社会運動ということらしい。当時の時代や社会的背景もあると思うが、結婚したら今以上に家に束縛される環境であったろうし、特に女性はまだ社会進出できていない時代で家を守る立場にあり、一度結婚したら家庭を守ることだけが仕事であり、閉塞感や束縛感を感じていたのかもしれません。
日本では当時結婚は家同士の問題で、家の存続のための結婚や、お見合いして嫁ぐっていう感覚があたりまえの時代だったと思います。姦通罪があったことからも、不倫や浮気などもっての他で、罪に問われた時代。結婚したら夫に添い遂げ、子供を育て、家を守り、そうして人生を終えていくことが、昭和の始め、戦後くらいまではあたりまえだった時代ですよね。
そんな中でこの「自由恋愛」という思想は過激に見えたことと思います。
現代の「自由恋愛」
今の「自由恋愛」という言葉の使われ方や意味合いは、「自由恋愛主義運動」が起こった当時のものとは少し違うように思います。
結婚をしていても恋愛は自由であるという考えの元に、「婚外恋愛」を容認する考え方になっている気がします。「婚外恋愛」とは、結婚していても夫や妻以外の人に恋愛感情を抱いてもかまわないではないかとする考えで、実際夫や妻がいながら恋人がいるっていう人もいたり、アイドルが好きでアイドルに恋して追っかけてお金を注ぎ込んでいるという人もある意味「婚外恋愛」であるという場合もありますね。
まあアイドルの追っかけはちょっと違うかもしれませんが、結婚してるのに夫や妻以外の人と恋人関係にあるっていうのはただの「不倫」ですよね。
「不倫」っていう言葉を罪悪感のない言い方に変換したのが「婚外恋愛」なのかと。
「自由恋愛」と「婚外恋愛」はいずれも結婚しているというのがポイントで、結婚していても恋愛は自由でしょっていう考え方です。確かに恋愛は個々の気持ちの問題で、束縛しうるものではないとは思います。
とおちゃんも結婚していた頃は、妻がいても他の女性のことをいいなあ思うことはありました。恋愛には発展しませんでしたが、そういう気持ちになることは確かにあると思います。そして恋をしていることで日常の生活に張りがでて楽しくなるという気持ちもわかります。
しかし、自由なのはそこまで、思うまでです。想うようになって付き合うようになってしまったら、それは「不倫」です。結果配偶者と子供を傷つけることになります。
結婚している以上やはり越えてはいけない一線はあると思います。「自由恋愛」「婚外恋愛」という言葉で正当化しようとしても、傷つく相手がいるのであれば、とおちゃんはやらない方がいいと思います。だってそれは「不倫」だから。
オープンマリッジという考え方
オープンマリッジと言って、結婚した夫婦それぞれがお互いに合意のもと「婚外恋愛」を認めているケースがあります。
オープンマリッジとは、一般的に、夫婦間以外の性的な関係に対して、相互の合意の下に開かれている結婚の形。性の革命の時代1970年代に多く試みられた。
1973年にアメリカ合衆国の社会学者オニール夫妻(ネナ・オニールとジョージ・オニール)によって、夫婦が所有欲、独占欲、嫉妬心に妨げられず、自由に愛人を作れる、社会的、性的に独立した個人を認め合う結婚のスタイルを提唱した本『オープンマリッジ』が書かれ、出版された。この本は150万部以上売れ、文化に大きな影響を与えた。この愛人はサテライト(衛星)パートナーという。
これは夫婦がお互いに夫、妻以外の人と恋人関係になっても良いと認めているので、端から見ると「不倫」に見えるかもしれないが、夫婦がお互いにそういう関係を認め合っているので「不倫」と違い問題ないようです。
確かに夫婦それぞれが恋人を作ることを容認していて、かつ家庭も疎かにせず、子供がいれば子育ても協力してできているというのであれば、何の問題もないのかもしれません。
今は性が多様かしており、「LGBT」の問題がクローズアップされることも多いです。結婚は異性として子供もできたが、本当は同性との関係を求めているという人も多いのかもしれません。
そういう場合にはこの「オープンマリッジ」という考え方は良いのかもしれません。少なくとも夫婦お互いがよくって、周りが誰も傷つかないのであれば良いのかと思います。
まあ、なんか絶対どっかで綻びが生じそうなので、とおちゃんは嫌ですけどね。
自由な恋愛
恋愛をすること自体は自由だと思うんです。独身であったり、何も束縛するものがなければ、自由に恋愛していいですよね。でも結婚していて、夫や妻、子供がいて、夫婦がお互い「婚外恋愛」を認めていない場合は、その恋愛は「不倫」になり、自由ではなくなってきます。
結婚する時に「この人だけを愛し続けることを誓った」のではなかったか?
まあ月日が経つと人間の気持ちなんて変わっていきますから、一生同じ人を好きでいる、愛しつづけるなんて難しいということも知っています。だから、他の人を好きになったりすることは、誰にでも有り得ることだし、それを否定するつもりもありません。
とおちゃんが元妻に不倫された時は、すでにお互い恋愛感情はなく、夫婦としてというより家族として互いを見ていたように思います。なので自分に対する裏切りというより、元妻が家族を裏切ったという風に感じていました。
とおちゃんは「家族」というものを何よりも大事に考えてきました。家族を裏切るようなことは絶対にしないと。結婚している当時も元妻以外の女性が気になることもありましたが、家族を壊したくはないので、「思う」以上のことはありませんでした。
やっぱり家族を崩壊させてしまうような「自由恋愛」はただの「不倫」であり、とおちゃんには認められません。
オープンマリッジの契約でもしていない限り、結婚したら他の人との恋愛はすべきでないと思うし、無理なら結婚なんてしなければいいと思うんです。政略結婚とかでしかたなく好きでもない人と結婚させられたとかいう事情がなければ、今の時代結婚するしないは個人の自由だし、離婚も普通にある時代です。結婚したら一生添い遂げるような時代でもないし、嫌なら別れるのも自由です。
でも、その「自由」ってなんか違う気がするんですよね。色んな人を傷つけて不幸にしてしまう「自由」なら、それは本当の意味での「自由」ではなく、自己中心的な考えの元に立った「自由」なような気がします。
とおちゃんは独身なので「恋愛自由」ですが、それによって子供たちが傷つくのならば、恋愛はできないと思っています。もし子供が心の底から応援してくれるようになったら、その時は恋をしてみたいと思っています。
なんて、自分に自信がないので無理かもしれませんが、「思うのは自由」ですよね。
いつか子供たちも恋愛したらわかるかな?
とおちゃんねるでした。