【父子家庭ブログ】とおちゃんねる!

娘2人の父子家庭の日記です。父子家庭ならではの悩みや日常を発信していきます。

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離婚後も不幸続きでウツになってしまった?

離婚ウツというものがあるとネットで知りました。

離婚時に受けた精神的ストレスによりうつ病になってしまうもの。

自分の場合、元妻の浮気が発覚して、離婚話が出てから約半年間。元妻が家を出るまで子供の前ではいままでどおり平静を装っていましたが、心はボロボロで非常に辛かったです。元妻が出て行ったことで、その辛さから解放されるかと思いきや、のしかかる子育ての重圧や不安、自分と子供の将来への不安が日に日に増していきました。

その年の秋に自分が肺炎にかかってダウン。おそらく離婚のストレスから免疫力が落ちていたのだと思います。咳が数週間続き、咳をするたびに胸の奥が痛むようになり、最後は仕事中に発熱とだるさがひどくなり倒れてしまいました。病院に行ってレントゲンを撮ると肺が真っ白。入院を勧められましたが、子供のこともあり通院治療で毎日点滴に通って治すことにしました。仕事は1週間くらい休みましたが、ストレスや疲れが溜まっていたので身体がSOSを出したのでしょう。休んでよかったと思います。

 

しかし、不幸は続きます。年が明けて今年の1月末に、自治会の青年団の新年会がありました。そこで飲みすぎたようで、全く記憶を無くしてしまい、気がつくと家で寝ており、当時同居していた母親に「その顔どうしたの!」と言われて起こされました。何を言っているのかわからず、二日酔いということもあってしばらくボーッとしていましたが、よく見ると服が血だらけではありませんか。恐る恐る鏡で顔を見ると、瞼の上のあたりが切れていて大量出血しており、目の周りも青アザができていて腫れていて、まるで負けたボクサーのような顔になっていました。新年会は2次会まで行ったのは覚えているのですが途中から記憶がなく、断片的に転んだような気がするくらいであとは全く覚えていない。誰かと喧嘩になって殴られたのかと思い、その時一緒にいた人に聞いてみたところ、自分ともう一人が酔っ払って歩けなくなったので、送っていこうと思ったが、泥酔した2人をいっぺんに送ることができなかったそう。なので先にもう一人を送っていくからと、自分はその場においてもう一人を送って戻ったら既にいなかった。周囲を探しても見つからなかったため、家に帰ったと思ったとのことだった。なので、なぜ怪我をしたのか誰もわからないようで、おそらく自力で帰ろうとしたが、足元がふらついて途中で転倒。受け身も取れず顔から転んでケガをしたということで落ち着きました。ケガ自体はたいしたことはなく、アルコールのせいで出血が多かったけど縫わずにすみました。でもその日からしばらく禁酒しました。(2日くらいWWW)

 

さて不幸はまだまだ続きます。

顔のケガがようやく癒えた3月。通勤途中で事故に会いました。朝家を出て自転車で最寄り駅まで行く途中、右折してきた車と自転車が接触して転倒。その日は朝から雨がけっこう降っていたので視界が悪く、車の相手も良く見えていなかったよう。自分も車が曲がって来るのはわかっていたのですが、止まってくれるだろうと思ってそのまま走っていたら突っ込んできたわけです。

その瞬間スローモーションのようで、うまく立て直して倒れずに踏ん張ることもできたと思うのに、なぜかもういいやと思って力が抜けてしまいました。転倒してしばらく呆然としていて動けませんでした。実際自転車の後輪が車のバンパーに少し当たっただけで、骨が折れたわけでもなく、自分のケガはほとんどなかったのですが、もうなんだかね、心が折れました。

ああ、なんでこんな目にあうんだろう、俺が何をしたっていうんだ。

もうどうでもいいや。

死んでもいいや、、、。

 

その場で倒れたまま動かずにいたら、事故相手のドライバーさんが駆け寄ってきて、「大丈夫ですか!」と焦った様子で言うので、現実に戻りました。すぐに立ち上がって、「大丈夫です」と答えました。幸い外傷もなく、本当に何でもなかったので、電車の時間も気になりその場を立ち去ろうとすると、

「いちおう事故なので警察呼びます。救急車も呼んだほうがいいですよね」と言うので、「いや本当に大丈夫ですから」と言ったのですが、相手の車も傷ついていたため、保険で修理を頼みたいので事故扱いにしたいらしく、結局警察を呼ぶことになりました。

警察が来て現場検証やら事情聴取などで1時間くらいかかり、仕事は遅刻するはめに、わりと大事な用事があったので困ったのですが、時間が経つにつれだんだんもういいやという気になっていました。事故相手と警察がいちおう病院に行って診てもらうように強く勧めてくるので、仕事はお休みして病院に行くことにしました。

とりあえずいったん家に帰って車で大きな病院に行こうと思い、自転車に乗って家に帰ろうとしたのですが、事故当初全然痛くなかったのに、股関節が異常に痛むことに気づき、自転車を漕ぐこともできず、歩くのもしんどくなっていました。

なんとか家に帰ったものの車を運転できる状態ではなかったので、母親に病院まで車で送ってもらいました。診察の結果、骨に異常はなく、股関節の筋を伸ばしてしまったのではないかとのこと。ただそれが時間が経つにつれどんどん痛くなり、診察を受けて帰るときにはまともに歩くこともできませんでした。湿布や痛み止めを飲んでも結局次の日も痛みで歩くことができず仕事を休んでしまいました。その日も大事な仕事があったのですが、どうにも行くことができず、いや無理すれば行くことはできたかもしれませんが、事故の時から本当に心が折れてしまい、もう何もかもどうでもいいからとにかく休ませて欲しいと思っていました。死んでもいいやと本気で思ったのは人生で初めてです。

 

次の週から仕事に復帰しましたが、それ以来張り詰めていた糸がプツンと切れたように何もやる気が起きなくなってしまったのです。元妻が出て行って以降、自分ががんばらなければと気を貼って生きていました。子供のこともちゃんとやって、仕事もがんばらないと食っていけない、全部一人で背負う覚悟でいたのだと思います。しかし、病気、ケガと立て続けに起こり、ただでさえストレスの多い仕事で疲れが溜まっているのに、さらに追い撃ちをかけるようなことが次々に起こったため、心と身体が悲鳴をあげて機能をストップさせたかのように、何もできなくなってしまったのです。

仕事は年度末に入りいちばん忙しい時期。それなのに頭が働かず事務処理が進まない。仕事は溜まる一方でしたが、子供のことを考え残業は極力しないようにしました。結果溜まっていく仕事がさらに自分を追い詰めていき、早くやらなければいけないのに、ボーッとしてしまい手に着かない状態になっていました。

さらに下の子の卒園、小学校入学準備もしなければならず、この間に母親が実家に戻り、叔母が変わりに一緒に住むことになり、大きな環境の変化もありました。

もう自分の心と身体は限界にきていました。(つづく)

 

                     

思い出して疲れてきたので父ちゃん寝ます。

とおちゃんねるでした。

 

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